2020年5月21日木曜日

新型コロナウイルスによる礼拝休止中の聖餐について(修正版)

西日本教会各位

 

栄光在主

新型コロナウイルスで通常の礼拝が困難な中、皆様が様々な方法で信仰の励ましを続けておられることに、心から感謝を申し上げます。

このたび常議員会では、「礼拝休止中の聖餐」について神学委員会に諮問しつつ検討いたしました。

「ネットライブや録画、録音による遠隔聖餐は神学的に許されるか?」

「一家の主人が信者である家族に聖餐を施すことは許されるか?」

これらの問題について神学委員会からの答申を参考にしつつ、常議員会は下記の通り皆様に通達させていただきます。すなわち、

「遠隔聖餐も、一家の主人による家庭聖餐もお控えくださり、通常の聖餐を待ち望んでくださるようお願いいたします」

 

おもな理由は次の通りです。

� マタイ26:26-28等で聖餐を制定されたとき、主は「これはわたしのからだである」「これはわたしの血である」と言われました。しかし遠隔聖餐の場合、語られる御言葉と、パンや葡萄酒が、距離的に(録画や録音の場合は時間的にも)離されていますので、「それはわたしのからだ」「それはわたしの血」と言うことになり、主が言われたことと違ってきてしまいます。

� 「恵みの手段」には、福音の説教と聖礼典(洗礼と聖餐)があります。聖礼典のうち、洗礼は一度きりなので緊急性が認められますが、聖餐の場合はそこまでの緊急性はありません。第1コリント11:25に「飲むたびに」と書かれている通り、たびたび行うべきものです。ですからたびたび聖餐にあずかることができる日が早く来ることを祈りつつ、待ち望みたいと思います。

� ルターは全信徒が神の民としての祭司であるとしつつ、同時に、福音の説教をし聖礼典を執行する役職を立てることの重要性を説きました。ですからよほど緊急な場合でない限り、その職務に立てられた者が司式をして聖餐式を行うべきと考えます。

 

皆様の教会の中には、牧会的な配慮から「コロナ禍のような緊急事態には、遠隔聖餐や家庭聖餐も許されるのではないか」と考える方もいらっしゃることと思います。「説教だけでなく、聖礼典である聖餐によって主の恵みにあずかりたい」という願い自体も、大変尊いことです。

 

しかし、このような時こそ聖書の御言葉に集中し、御言葉によって私たちを守り、贖い、強めてくださる主に信頼して歩みましょう。そのために、いま各地で実践されているオンラインの礼拝や、書かれた説教などは、たいへん有益です。このように、御言葉によって祭司の民として養われ、喜びをもって家族や隣人を愛し、彼らの力になって歩みましょう。そして、やがて礼拝が再開した時には、今まで以上の感謝と喜びを持って、聖餐にあずかりましょう。

 

皆様の上に主イエス様の恵みと祝福を祈りつつ。

 

在主 2020521

西日本福音ルーテル教会

議長 永田 令